岩本寺
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四国八十八箇所霊場の37番札所。歴史深い寺院で、本堂内陣には575枚の天井板絵がはめ込まれています。
おすすめポイント
- 四国八十八箇所霊場の37番札所
- 聖武天皇の勅願により行基が建立
- 本堂内陣には575枚の天井板絵
- 宿坊もあり宿泊も可能
- 歴史と文化を感じられる寺院
概要
岩本寺は、高知県高岡郡四万十町にある真言宗智山派の寺院で、四国八十八箇所霊場の37番札所です。聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝えられており、長い歴史と伝統を誇ります。
寺伝によると、天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源だといわれています。当時は現在地より北西約2 kmの仁井田川のほとりで、仁井田明神のあったことから「仁井田七福」、別名「七福寺」と呼ばれていました。その後、弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が五社・五寺からなる福円満寺を増築し、東から、東大宮が不動明王、今大神には清浄観音菩薩、中宮が阿弥陀如来、西大宮が薬師如来、聖宮が将軍地蔵菩薩とそれぞれ本尊を安置し、星供の秘法を修したそうです。こうして「仁井田五社十二福寺」と称し嵯峨天皇の勅願所となり栄え、別当寺の福円満寺が札所でした。
天正年間(1573年 – 1592年)に兵火によって焼失するも、時の足摺山主・尊快親王が弟子の尊信に命じて再興されました。一方、岩本寺は、町中にあり福円満寺から足摺へ向かう途中の宿坊でした。中世末に一宿した尊海親王がこの宿坊に岩本坊の名を与え繁盛しました。1652年から1688年の間に衰退した福円満寺から別当が移り、岩本寺と改称し、納経は「五社大明神 別當岩本寺」と記帳されました。
明治初期には神仏分離により仁井田五社の5つの仏像は岩本寺に移されましたが、岩本寺は高知県の政策により明治4年(1871年)廃寺になります。明治22年(1889年)岩本寺は復興して現在に至ります。
岩本寺の見どころは、何と言っても本堂内陣にある575枚の天井板絵です。画家や一般市民が描いたさまざまな絵が、花鳥風月、歴史人物など、多種多様で、訪れる人々の心を和ませます。また、岩本寺は宿坊も併設しており、宿泊しながら寺院の静寂な雰囲気を味わうことも可能です。静かな山里に佇む岩本寺で、歴史と文化に触れ、心安らぐひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。